2008/12/10

コンビニで地域の特色を引き立てる

京都は空間ブランディングの宝庫です。景観条例による規制強化も京都全体の空間としてのブランドを維持したいという京都人の願いと無関係ではありません。
制約に頭を悩ませる企業も多くありますが、むしろその制約メリットとして生かす事で京都独自の「場」を表現しブランド化に成功している企業も存在しています。ローソン八坂神社前店などその好例です。京風コンビニとまで評価されるように、販売する商品やサービスはそのままに、外観を見事に京仕立てとすることを達成しました(最優秀は京風コンビニ京都市優良屋外広告物賞)。

2008/10/04

経営者が蓄積された場のブランドを裏切ったとき...

当然の事ながら、本来「実」をしめすはずのものが「虚」にすり替わってしまう事もあります。その代表的な例が船場吉兆による一連の偽装問題でしょう。ニュース特集:船場吉兆偽装にもあるように、1930年の創業からこれまで培ってきた実績とお客の信頼のうえに立つブランドを船場吉兆は、一瞬にして崩壊させてしまいました。結果的に船場吉兆は廃業に追い込まれました。つまり、組織としての存続を否定されてしまったのです。

吉兆グループがこれまで培ってきた実績と、顧客からの信頼。吉兆ブランドは「顧客の声」「顧客の期待」に応え続けた結果として作り上げられたもののはず。このたゆまない努力については、京都吉兆嵐山本店総料理長徳岡邦夫氏の部ログからもうかがい知る事が出来ます。
 吉兆グループとしては、ブランドを著しく傷ついてしまった船場吉兆の「背徳行為」に対する憤りもあるかとは思いますが、今後は、自ら提供するサービスによって、マイナスイメージを吹き飛ばすような「場」の更なるブランド化を実現するのみでしょう。吉兆グループの「実」の部分が社会に、そして、消費者にどのような形で伝わっていくのか、今後の活躍に期待です。

2008/09/25

ヒルズブランドの不運、老舗京料理店ブランドの幸運

ここでの比較は当然の事ながら、学術的検証を進めたうえではなくあくまでも主観の範囲にしか留まらないという事を断ったうえで、敢えて進めていきたいと思います。ヒルズブランドの不幸は、自らのブランドをしっかりと確立する前に、メディアなどによってそのある一部の特性が広く人々に知れ渡ってしまった事にあります。結果的に、六本木ヒルズ開業5年 脱出するヒルズ族の面々(上)及び(下)にもあるように、ヒルズに集い働いていた、より本質的な価値観を持っていた人から次々と同地から離脱。最後は、ヒルズ族という言葉すら「死語」になるとまで言われるようになりました。

派手に振る舞いメディアの注目を集める少数の人がいたなかで、本来地道に築きあげられる「何か」が確立する前に、虚構のブランドが築き上げられてしまったのです。その、真実になりきれない部分を維持する事は実質的に不可能だったということを、現在の一連の傾向は示しているのかもしれません。

老舗の京料理店における「場」のブランドは、派手にメディアで紹介されることを重視するというよりは、お得意さんからの口コミで序々に伝わっていった長い歴史の結果としてのブランドです。もし世代が変わり味が落ちる、振る舞いに不備があるということが続けば、おのずと客足は遠のき、淘汰される事でしょう。安定と競争という絶妙なバランスの中で、名店はそのブランドを維持していくのです。そして味を超越した「経験」をお客に提供するために店舗空間とそこでひとときを過ごすひとたちの時空間が最高のものとなるよう最大限の努力することで独特の雰囲気や空気というものがつくりだされていきます。


このような形で形成されたその場のブランドはその場の実とミスマッチすることなく、正しく表現されます。ブランドと実情がマッチするからこそ、経営側も息切れすることなく長期的にその付加価値を維持出来るわけです。メディアの力は最近のあらゆる事業において重要な役割を果たしますが、同時に両刃の剣でもあります。誇大表現で自らのブランドが誤って伝わらないよう努力をしていくことがこれからの企業にとって最重要課題のひとつとなるでしょう。老舗京料理店が築きあげた、メディアに頼らない形でつくりあげられた場のブランディングはそれを進めるうえでも参考になるかもしれません。

場のブランドを脅かす様々な要素

老舗の京料理の事例が場のブランディング成功例と言えるのであれば、その相対的な位置づけにあるのが六本木ヒルズです。
Moneyzine『リーマン倒産で、六本木ヒルズのブランド失墜「ヒルズの呪い」などと揶揄も』の報道によれば、リーマンブラザーズ倒産が、ヒルズブランドに更なるマイナスの影響をあたえているとのことです。現在Livedoorリスログにて、「六本木ヒルズのイメージ」に関するアンケート調査をおこなっていますが、回答者532人のうち(9月25日10時50分現在)、71.1%が悪いと回答しています。

具体的に何が悪いか?どのようなイメージが「悪い印象」となっているか、までは調査の範囲外ですので、これ以上の解釈は困難なのですが、「六本木ヒルズ」に対して一般の人々が持つイメージの変遷におけるターニングポイントは東京地検のライブドア家宅捜査でしょう。これは前述の報道でも言及されていました。

堀江氏がライブドアのCEO時代だった際にインターンとして鞄持ちを経験し、その後、自らも起業したという当時東大生だった保手澤彰人氏のブログがその頃の大学生たちの気持ちをある程度代弁しているように思えます。

特に、前述のリンク先の2005年12月のブログで言及している「世界一」は、一連の事件が発覚した後で実施された下村健一氏とのインタビュー時に言及した「世界一」の意味と比較し、随分変化が生じているように見受けられます。

「世界一」になりたいという目標を持つか否かに関わらず、多くの若者にとって、ライブドア事件前の六本木ヒルズは「ジャパニーズドリームの象徴」であり、「勝者の象徴」であった事は確かでしょう。それが不正が明らかにされるにつれ、もともと拝金主義的だった、堀江氏の言動(あくまでもメディアが断片的にとらえた同氏の姿でもありますが)などと重なり「虚栄」、「繁栄から崩壊への道を転がり落ちる金というものの儚さ」、「権力闘争の虚しさ」というイメージが増幅され、前述のアンケート結果のようになっているのだと思えます。

更に重要なのは、このイメージが堀江氏個人ではなく、ヒルズという働く「場」のイメージそのものに反映されたという点です。これは、前述のインタビューにおいて、保手澤氏が「ヒルズ族はダサい」と言っている点とも合致します。この言葉は堀江氏個人ではなく、ヒルズ族のビジネススタイル全体に感じられるイメージを語っているのだと解釈出来るからです。

当然のことながら、六本木ヒルズで働いている方のほとんどは、誠実且つ勤勉に働いている事でしょう。また、拝金主義と見られた傾向などもおそらく実像とはかけ離れているはずです。ですが、そのようなイメージを一般の人たちがヒルズ全体に感じてしまった事は否めない事実でもあるのです。つまり、一連の事件やその前後のある意味過剰に報道されたヒルズ族のライフスタイル、そしてその場を中心にうごめく価値観的なものが、場のブランドを無意識のうちに作り上げてしまったということになります。そして、いったんつくりあげられてしまった「場」のブランドを覆すのは容易ではありません。そこに冒頭で引用したような、リーマンの破たんが重なりあい、「ブランド失墜」と表現される結果となっているのです。

2008/09/24

京料理[星お断り]に見る場のブランディングと顧客体験

場のブランディングという言葉そのものは新しいかもしれませんが、場をひとつのサービスとして展開するという行為は様々な所で見受けられます。つまりお客様を「もてなす」という考えを突き詰めていくと、自ら提供しているモノやサービスの概念がより広がってくるということでしょう。

このもっとも顕著な例が京都などで伺える老舗の名店です。
Asahi.com『京料理「星お断り」 ミシュラン掲載に拒否や保留相次ぐ』
で、報じられたように「ミシュラン」からの星評価を多くの京料理店が拒否、保留としました。その理由として「京料理は打ち水された玄関や手入れの行き届いた庭など、もてなしのすべてが文化。」である京料理店に対し、「料理だけで判断する姿勢が気に入らなかった」をあげています。

これは、老舗の京料理店においては、もてなす側もそれを受ける側も料理そのものではなく、店に入ってから出るまでの体験そのものに付加価値を感じているということを意味しています。このような一連の空間で体験が発展し、その空間でのひとときを貴重な経験として受けとめた顧客が、自分の友達に薦め、または重要な案件があるとき、もてなしの場として新たな人を連れ添ってくることで顧客のコミュニティが広がっていく。つまり、口こみによって長期的な「お得意さん」を獲得していく一連の流れが老舗の京料理店には形成されているのです。


これこそが場をブランディングの理想系を体現しているといえるかもしれません。

2008/09/16

場とは日本独自の概念

 「場」とは、外国語に訳すのがとても難しい概念です。例えば、英辞郎や、Gooの和英辞典などを 見ると「場」の訳語として a place、a spot, a scene. field といった言葉が使われていますが、日本で一般的に使われる「場」は、前述の訳以外にも様々な使い方があります。ただ、その概念を外国の人たちに説明するのが非常に難しいのです。

これは、日本社会が高文脈文化的特徴をもつ社会(High Context Society)であることと関係しています。高文脈文化とは、長期にわたり独自な価値観が蓄積されたため、多くの規範やルールが明文化されず、暗黙知として継承される文化を示します(Hall,1976)。インターネットを中心とした情報革命により個人の価値観が重視され、あたかも高文脈文化的特徴が日本社会から失われているように感じられるかもしれませんがそれは違います。

 KYー「空気読めない」という言葉が流行語になり、若年層を中心に使われている事実が、高文脈文化的特徴が日本ではいまでも健在だということを如実に表しています。この「空気」という言葉も「場」、とともによく使われますが、この概念も欧米では、理解されにくいです。多数の民族や文化が入り乱れ、さまざまな価値観が組織や社会で交錯する中では空気などを読む余裕も時間もないのです。「空気を読めっ」と抗議するやいなや、「だったら、あなたの要求をハッキリと伝えてくれ!」と叱られることでしょう。これは逆ギレなどではなく、まっとうな主張であると認識するのが、欧米での常識と言えます。
 
 では、場とは何を意味しているのでしょうか?筆者はある場所において、そこで活動している人々の規範や価値観、考え方などが複雑に絡み合って形成されるひとつの磁場のような存在だと考えます。更につきつめていくと、この場所は、必ずしも物理的空間のみである必要はありません。仮想空間でも十分、場を形成することが可能なのです。つまり、場はヒトとヒトとのつながりから誕生し、そこから、独特の価値観やシンボル、メタファーとして発展していくとも言えるのです。